一般には「円安なら貿易収支増加」とは限らないという話
経済学のお話です。「円安だと輸出に有利(輸入に不利), 円高だと輸入に有利(輸出に不利)」と社会科の授業では習います。が, 厳密には必ずしもそうであるとは限りません。それは輸入品の価格は単に為替レートによってのみ定まるわけではなく, 輸入品の需要の価格弾力性というものが価格決定に影響しているためです。
価格弾力性とは, その財の価格の変動率に対する需要の変動率のことです。消費者は価格によってその財を購入するか否かを判断します。一般に価格が上昇すればその財の需要は下がります。価格の変化率に対して需要の変化率が大きければ弾力性が大きいということになります。
需要の価格弾力性を考慮して貿易収支と為替レートの関係を数理的に見てみましょう。
まず輸出財の需要量を考えます。
ある輸出財の日本円での単価を円, ドルレートを1ドル円とすると, この財はアメリカではドルとなります。この財のアメリカでの需要量はを需要の価格弾力性, を正定数として,
\begin{align} q_1 = A \left ( \frac{p_1}{e} \right ) ^{-\alpha} \hspace{15mm} \cdots (1) \end{align}
と表せます。同様にして輸入財の需要量を考えます。
ある輸入財のドルでの単価をドルとするとこの財は日本では円となります。この財の日本での需要量はを需要の価格弾力性, を正定数として,
\begin{align} q_2 = B \left ( ep_2 \right ) ^{-\beta} \hspace{15mm} \cdots (2) \end{align}
と表せます。
日本にとっての輸出額と輸入額はそれぞれの国での財の単価と需要量の積によって求められます。つまり,
\begin{align} EX = \frac{p_1}{e} \cdot q_1 \\ IM = ep_2 \cdot q_2 \end{align}
と書けます。貿易によって日本が得られる貿易収支は輸出額から輸入額を差し引いたものであるので,
\begin{align} T &= EX - IM \\ &= \frac{p_1}{e} \cdot q_1 - ep_2 \cdot q_2 \\ &= \frac{p_1}{e} \cdot A \left ( \frac{p_1}{e} \right ) ^{-\alpha} - ep_2 \cdot B \left ( ep_2 \right ) ^{-\beta} \\ &= A e^{\alpha -1} p_1^{1-\alpha} - B e ^{-\beta} p_2 ^{1-\beta} \\ \therefore T &= A e^{\alpha -1} p_1^{1-\alpha} - B e ^{-\beta} p_2 ^{1-\beta} \hspace{15mm} \cdots (3) \end{align}
となります。
このとき貿易収支はドルレートの関数と見なせます。ドルレートの増減によってがどうどう変化するかを調べたいので, (3)式の両辺をで微分し, 便宜的に式を整理します。
\begin{align} \frac{dT}{de} &= A (\alpha -1 ) e^{\alpha -2} p_1^{1-\alpha} - B (-\beta ) e ^{-\beta -1} p_2 ^{1-\beta} \\ &= (\alpha -1 ) e^{-1} \cdot A e^{\alpha -1} p_1^{1-\alpha} + \beta e^{-1} \cdot B e ^{-\beta} p_2 ^{1-\beta} \\ &= (\alpha -1 ) e^{-1} EX + \beta e^{-1} IM \\ &= (\alpha -1 ) e^{-1} EX + \beta e^{-1} IM + ( \beta e^{-1} EX - \beta e^{-1} EX ) \\ &= (\alpha + \beta -1 ) e^{-1} EX + \beta e^{-1} (IM - EX ) \\ &= (\alpha + \beta -1 ) e^{-1} EX - \beta e^{-1} (EX - IM) \\ \therefore \frac{dT}{de} &= (\alpha + \beta -1 ) e^{-1} EX - \beta e^{-1} (EX - IM) \hspace{8mm} \cdots (4) \end{align}
(4)式において, 貿易収支不均衡の調整メカニズムより貿易収支は均衡状態である, すなわちであるとすると以下の(5)式を得ます。(わざわざ(4)式のような変形を施したのはこの条件を組み込むためでした)
\begin{align} \frac{dT}{de}_{T=0} &= (\alpha + \beta -1 ) e^{-1} EX \hspace{15mm} \cdots (5) \end{align}
(5)式よりは共に正であるのでの正負はに依存します。
つまりのときは正, すなわちが単調増加となるので,「円安(が増)になるほど貿易収支増」となります。
そうでないときは負, すなわちが単調減少となるので, 「円安になるほど貿易収支減」となります。
以上より「円安ならば貿易黒字, 円高なら貿易赤字」という一般的な見方は, 両国の輸入品需要の価格弾力性の和が1より大きい場合に成り立つということになりますが, これはMarshall-Lerner条件として知られています。経済学部の方, あるいは経済学部出身の方はマクロ経済学や国際貿易論などの授業で聞いたことがあるかもしれませんね。